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不幸自慢の末路

こんな時間からブログが更新できるってすごい。

プレミアムニート期間最高すぎるな。

 

今日は、前々々回の記事の続きのようなもんです。その記事のラストにもう一つ書きたいことがあるって書いてたんですけど、そのことですね。

 

会社を辞める話はずっとブログでも書いてて、教育担当に辞める旨を伝えたときのことです。わたしはその教育担当のクソババアのせいで「うつ状態」になって、心療内科でそういう診断を受けたこと、精神的に仕事を続けていくことが困難なことを言ったわけですが、その際にクソババアは「そんなこと言ったら、私なんてメンタルクリニックの薬を30年も飲み続けとる。薬を飲んで耐えてきた」的なことを言われたんです。クソババアいわく、昔は先輩も仕事もキツくて、過呼吸になったこともあったし夜寝られなくて睡眠薬を飲んでいたこともあるし、家から出られなくなったときもあったとか。そこからさらに話が飛んで、行きたい大学に行かせてもらえなかっただの、家庭が崩壊状態だったとか云々、今までの自分の不幸を語ってきたわけです。

それをただ黙って聞いていて途中で感じたことがあります。それは

「こんな話をだらだらと聞いていて、誰が得をするんだ」

ということです。

不幸自慢は聞いてて楽しいものではないので嫌がられる話題の定番みたいなことを聞いたことがあります。たしかにそうだと思います。

教育担当としては、自分の不幸な話をして、辛かったけど耐えてこられたという自慢をしたかったのか、私に対して恵まれているということを自覚しろと言いたかったのか分かりませんが、残念ながらわたし的には「だからどうした」という感じでした。

 

不幸自慢は聞いている相手に響くものはほとんど無いと思います。(わたし個人の感想ですが)逆に相手に不愉快な思いをさせることだってあると思います。

それに、不幸自慢なんて話し手からしても話してて楽しいものではありませんよね。(周りの注目を浴びたいとかなら別ですが・・・)それに辛いことを話してその事を思い出すと、話してる側も辛くなりませんかね?

結局話し手も聞き手も、不幸自慢から得られるものってそんなに無いんじゃないかなーと思います。

 

 

人間みんな違うわけですから、辛さの感じ方も人それぞれのはずなんです。

それなのに「わたしはこれだけ辛かったのを耐えたのに、お前は耐えれないのか」と言うのはどうかと思います。

また、食事会とかで「わたしは楽しかったから、周りの子も絶対楽しいはず」と思うのもどうかと思います。(前々々回の「社会の闇」というブログの後半にも同じようなこ書きましたが・・・)

 

感情の裁量は人によって違うので、それを他人にまで押し付けるのはやめましょう。

そうそう、結局私が言いたかったのってこれのこと(笑)

 

ありがとうございました!!